先日の事であります。生まれて初めてオートマチックの軽トラを購入したのです、平成5年式というカーマニアから言わせれば動く廃品のような代物なのです(そこらで売ってる中古のスクーターくらいのお値段でしたから)。これがまた扱い辛い自動車でしてたまにエンストするわけなのです、オートマ車に乗って初めて知ったのですがセルモーターを回すのにはいちいちギヤをパーキングに戻す必要があるのとパーキング以外ではキーが抜けないとか色々面倒なのとさらに走りに関して言えば軽すぎるウエイトローラーを組んだスクーターの様な困ってしまう変速タイミングだったのです。結局今まで乗っていた4速マニュアル軽トラに戻ったのです。ちなみに平成3年式という時代物なのですが特に不便を感じていないので暫く乗り続けるでしょう。
ある晴れた日の事です、故障車を引き上げに向かっている途中交差点で信号待ちで停車していた時にベビーカーに搭乗している赤ちゃんとベビーカーに覗き込んで笑顔であやす母親を見かけたのです。その後運転しながら考えていたのです、多分あれ以上の4輪車は存在しないだろうなと、深い愛情と信頼で結ばれた運転手と乗員です最高の組み合わせと言い切っても良いでしょう。もっとも私はモータージャーナリストでは無いのでこの項は4輪車の話ではありません。
実は私の今使っている軽トラックにはカーラジオが搭載されているのです、そしてちょうどその時聞いていたラジオ放送は何処かの大学の偉い教授?のとても興味深い人工知能の講義だったのです、ぶっきら棒な話し方だったのですが職業の選択を間違えたと後悔するくらい面白い放送だったのです。そしてその時思ったのですが人口知能とはコンピューター制御である、すると人類に近づけるには人間の感情等を数値化する必要があるのでは?そこでベビーカーで母親の笑顔にとても良い笑顔で返答していた赤ちゃんの笑い、これは本人では無い以上何故笑顔だったのかわかりかねますが全くの無垢の笑いであると思われるので数値としては1と設定することにしたのです。0でもよさそうなのですが直感で0は宜しくないような気がするのと”無からはなにも出てこない、もう一度言うぞ”と何かで読んだような記憶があるので1となったのです。とりあえず最高の笑いと定義しても良いと思います。
それならば最低の笑いとはなんぞや?という疑問にも答えて数値化してみましょう、私の知る限り最低の笑いとは”笑え”と書かれたプラカードと共に突き出す機関銃の銃口のセットかと思われます。一応数値にするとこれを100としてみました。幅が少ないような気もしますがあまり増やすと混乱するのと数字とは便利なものでして小数点以下いくらでも数字を並べる事が可能なようです。
ここでの重要事項は私的AIの設計方法論なのです、そしてAIとは笑いの創造が出来るのか?結論から言うと個人的には出来るような気がするのです。
世間で見かけるお笑いとは誤解を恐れずに表現するとしたら機関銃式にかなり近いような感じがするのです、人はこうすれば笑うに違いないという経験則を駆使して人工的に笑いを誘うというわけです。コメディアンは奇抜な動作や表情を伴奏に豊富な語彙をもって即妙なユーモアを発生させるようです、冷徹な計算を下敷きに。そして計算がある以上はこれらの人工的な笑いというのは膨大なデータ処理が可能なコンピューターを鍛えたらいつの日か聞いた瞬間に笑いで即死するような最低ではないが致死率が非常に高い危険な代物が完成するかも知れません。
笑いを誘うためのつまり笑わすための巧緻に満ちた技術はAIには可能なようですが翻ってAIにとって困難な笑いとは何だろうかと考えるにこれは多分に生物的な要素をふんだんに含んでいるのではないかと考え至ったのであります。例えば陸海空から得られたとても美味しい食糧を喫した時や困難を克服した時、それにトップでチェッカーフラッグを通過した人達はそれはもう皆さん良い笑顔かと思われます。
とはいえ珍味や冒険や競争等を実施する経済や余暇等が無い現代人はどうすれば良いのか?これはとても重要な課題かと思われます。
民衆のデモ活動に対して発砲し死者が出た、という出来事を裁くために御白砂で幕府歩兵を吟味する民意の反映こそ治安維持の根幹と考える江戸町奉行に対峙する法こそ人間社会の中枢であるという信念を持つ国選弁護人のジョンアダムス。証拠の入れ墨を披露されると目撃者に時刻や視力を質問しさらに当地に設置されていた灯篭の照度のレポートを読み上げるといった重苦しい法廷闘争を展開すると短気な奉行は犠牲者が出た以上状況はどうあれ死罪であると一喝すれば民衆は「ダニエル様の再来だ!」と大いに盛り上がる中ジョンアダムスは被告の兵士達に当時の状況を発言させていくと浮かび上がってきた真相は。最初は平和的な抗議活動であったのが集団心理によってみるみるうちに暴徒化していき警戒中の兵士達を挑発しだす、指揮官は決して手を出すなと厳命したにもかかわらず投擲された桶や石によって負傷した仲間を見た若い兵士が恐怖のあまり発砲しその音や民衆の叫び声等で皆が恐慌し次々に発砲した。そして今回の事件は戦友の緊急事態において救命する為に応戦したという正当防衛であると見事に弁護を果たし、静まり返った傍聴人に向かって苦虫を噛みつぶしたような表情で奉行の言い放つ”ノットギルティ”の言葉で閉廷する。
何処に笑いどころがあるのか?映像にすると死罪を回避出来た兵士たちの安堵の表情を見れば誰もが連られて微笑むと思われます。が、、、AIには創作出来なさそうですが視聴者が首を傾げる可能性もまた高いでしょう。
とはいえわざわざ劇的な状況を舞台にせずとも日頃の生活や仕事から意図しない笑いを発生させる事は可能か否なのかを私なりに実験してみようと思い立ったのであります。
ここでの主人公は割とベテランの整備士が良いでしょう、何故なら仕事柄創作しやすいからなのです。
ある日の事、機械いじりの大好きな青年がバイク(車でも良い)を持ってくるのです。曰く突然動かなくなったのでオイルを交換しプラグも変えてエアーエレメントも交換してさらにバッテリーも新品に交換したのですがそれでもエンジンがかからないのです。
そこで原因を究明して再起動をお願いしますとの事。持ち主なりに最善を尽くしたのなら感心であるし同時に難題でもあるでしょう。
整備士は早速マニュアルに従ってエンジン再起動の手順を色々試していくでしょう。プラグはちゃんと点火しているか?イグニッションテスターに繋いで点検すると異常無し。
エンジンオイル・・・規定値
圧縮圧力・・・異常無し
各種センサー類カプラー抜けや点検を実施するもそもそもエラーコード発生も無し
キルスイッチ・・・RUNの位置
クラッチスイッチ・・・OK
ギヤポジション・・・ニュートラル
アースコード・・・異常無し
バッテリ電圧・・・規定値以内
燃料ポンプ・・・正常
その他色々・・・正常
点検漏れは無いか?・・・さっきもOK今もOK
整備士は重々しい表情でこの車両には異常が無い事を認めざるを得ないでしょう
でも何故かエンジンは掛からない・・セルモーターも良いし
頭の回転数を上げるためにジュース等を購入して難しい面持ちでリファレンスを眺めながらどうしたものかと考えた上で今一度車両の元に付いて色々と手順を考える事でしょう。
思い悩んだ末に何かの拍子にフューエルキャップを開けて中を電灯で確認してみると完全に空っぽでカサカサに乾いていた・・ちなみにガソリンの残量を点検せよとは故障診断手順のどこにも書いてないのです、これは故障では無くて日常点検の部類ですから。
割といいかも知れません
輸送機械でなくとも似たような展開は可能かと思われます。
例えばお隣は動物病院なのです。生物の点検方法は知りませんが似たような経緯かと思われます。
いつも静かなペットが泣き止まないので異常発生と伝えられ急患として取り合えず骨折していないかレントゲン撮影し念のためシーティースキャンで輪切り撮影を実施し
さらに血液検査にウイルスのチェックも実行し寄生虫を探索しその他あらゆる方法論を探求の結果、伝染病でも無ければどちらかというと健康体である・・・
困り果てて常備してある餌を供給すると大人しくなった・・・空腹が原因だった。に相当するでしょう。
上記の考察によって得られたAIには不可能と思われる非線形な笑いとは(ちっとも面白くないという意見もあるでしょうけど)、経験も知識も技能も過不足無い人たちがこれ以上無いほど真面目にかつ真剣に課題に挑戦し初歩的過ぎる原因に当惑してハリウッド映画で性格俳優として抜擢されるくらいの陰鬱な表情でカスタマーにエンプティーが原因ですと説明するところが良いでしょう。いや、まてよ、暗い表情では決断力や指揮力に欠けていると判断される事があるかも知れないので朗らかな笑顔で説明する方が良いでしょう。掛かった手間暇等は夜間にオレンジジュースより強い飲み物で忘却の彼方に弾き飛ばす決心と共に。
ただ、、成果や結果こそ重要だとする現代社会においては冷徹にそれらの行動を眺めると経験豊富という名に恥じ入るべき口程にも無い無能との烙印を押される恐れもまた多分にあるでしょう。
やはり、自然な笑いとは生物学的に正当な物であるのが条件であるのかも知れません。
去年位にお客様に聞いた話なのですが、時代はかなり遡って多分、、80年代かと思われるのです。インターネットという言葉はあったのかも知れませんが世間一般には全く知られていない時代の真実のストーリーなのです。
その当時のコンピューターを扱う事が出来た技師と呼んでもいい高性能な人たちの一部の方のホビーとはエロ画像の収集だったそうです、怪しからん画像が詰め込まれたフロッピーディスクという当時の税関等の国境警備隊には見向きもされなかったという優れた記憶媒体を海外出張の折に入手して自宅に帰還した時に閲覧したそうです。個人的には眺めるだけならわざわざ異国の地で段取りせずとも国内にいくらでも存在する紙媒体でも良いではないかとも思ったのではあるのですが技術者なりの深淵なこだわりを感じ取ることが出来たのです。ただ大変残念な事に当時のコンピューターとは現在と比較してとても性能が低かったので、起動してから映像にたどり着くまでにかなりの時間を要したとの事です。従ってクラッチの滑っているスーパースポーツバイクのように人間の情念の回転数は非常に高い数値を示しているのに対して現実の肝心の画面はアリの行列が横隊を組みつつあるといった感じだったそうです。聞いた当時は大笑いしてしまったのですが、今現在冷静に考えてみると当時の最先端のテクノロジーが生物学的に正当な要求をコンピューターなりに最大限の努力をして支援していたのだと思い至ってなんというご苦労か、とも思ったのです、そもそもインターネット等のコンピューター技術の成り立ちは他の国から奇襲攻撃を受けたくないとか人類の生活をもっと便利にしたいといった高尚な目的であり世界的頭脳を持つ技術者達の艱難辛苦の結晶であったとも聞いたことがあるので、輸入して即座にベクトルの違う平和利用に活用したという先達の話から引き出される教訓としてはAI技術の急速発展の肝は人類の本能に準拠すべしといった事になるでしょう。
個人的にはほんの小さな隙間を即座に測定してくれてアドバイスをくれる支援機械が欲しくなる時もあるのです。ついでに言えば音声にするのならば多少は緊張感を持たせるために親方口調が良いでしょう。”広すぎじゃアホンダラ!”とか”圧縮抜けるやろが!俺のエンジンをどうするつもりやねん!頭使えやドアホ!”とかなんとかアドバイスされれば多少面倒な作業もいつの間にか終了するような気がするのです。さらに言えばコンピューター制御親方なら思想や理論に矛盾は無いと思えますので”分からん事あったら聞けや!”と言われていざ聞いたら”そんな事も判らんのか今まで何しとってん!”と言われるんですけどどうしたらいいのでしょうか?といったはなはだ下級指揮官としての適性に欠ける上司の下で苦しんでいるという愚痴を聞いた私は絶句してエレガントな解決策を考案出来なかったという苦い思い出も近未来には解消出来るのではないだろうかとも思うのです。