減りすぎたクラッチを交換している時に何故か頭に浮かんだ大発見があります。それは・・お経とは日本語訳がないのではないかという重要な視点であります。ハリウッド映画でも字幕が出るのにお経にはありません。そもそも音を漢字で当てはめただけなので字面を眺めてもまるで意味が無いはずです。仏蘭西とか亜米利加や夜露死苦みたいなもので万葉仮名やよく出来た暗号みたいなもののはずです、私の理解してる範囲では。苦蘭矩舎腑徒と書くとなんだか凄い反動的組織名みたいですがただのクランクシャフトの当て字だったりします。
果たして意味のわからない音楽?をありがたく思うとはいったいどんな思想なのだろうかと自問してみると洋楽を聞くのがカッコいいと思っていた時代を思い出しました・・・仏教伝来とは当時の人たちにとってとてもイカしていたのではないかと?下手に訳したらカッコ悪くなるかそれとも魂が危険にさらされると考えたと推理するのは容易であります。
そもそもオートバイの構成要素も日本語訳し辛いのであります、なにしろ日本で開発されたものではないので当たり前です、クラッチやらスロットル、ボルトナットにスプリングとかなんとか色々ありますが、ある日突然政府が外来語は敵性言語であり使用する事はまかりならんと広報すると、言語学者と印刷業者とコンピューター関連企業に超絶バブルが発生して現場は大混乱するという痛快な経済政策となるでしょう。
個人的には会社の公用語を英語にするより日本語以外は使ってはいけないと部下に命令して外国企業との取引で発生する齟齬は通訳に責任を押し付けるといった戦国大名的な社長がいたら面白いのではないかと思ったりするわけであります。